「高井さんしゃべるんだって」と、リサは前日になってから母のジュンコに教えた。終わってから言うつもりだったらしいが、家を空けるので言わないわけにはいかない。ジュンコはカレンダーの予定をチェックし始めた。遠目から見ると「犬のシャンプー」ぐらいしか書かれていないように見えるが、ジュンコはもじもじしながらも行くと言う。「だって席埋まらないと高井さんかわいそうじゃない」って、要らなすぎる心配キタコレ。
日本微生物生態学会が開催されます
こんなふうに聞くと、ボクの耳は耳の穴の中に逃げていく。でも「市民講演会もあるお!」と聞くと片耳がパッと咲き、「サイエンスは最高のエンターテイメントや!!」と聞けばもう一方もポンッと開くので大丈夫。ジュンコはまっくろくろすけを見つけたメイちゃんみたいになるので大丈夫。リサはいつもと変わらない・・・みたいだけど大丈夫。敷居が下がると俄然ヤル気が出てくるものである。なんのヤル気かわからないが。
場所は横須賀市文化会館というところ。神奈川県の横須賀市。そう、そうなんです、黒塗りの船でマシュー・ペリーがやってきたところなんです。ポスターを見ても横須賀とペリーらしき人物が関連付けられてるように見えるし雰囲気も幕末っぽい。2人はけっこう知ってると言いながらしきりに「どぶ板通り」を連呼している。しかしよく話を聞いても昔どぶ板通りで何があったのか結局わからなかったが、ボクにとってはあんまり馴染みのない土地で、古今東西ヨコスカ・・・カレー、スカジャン、ジャムステック・・・うぅ・・・もうダメだ・・・ぐらいの貧弱さだ。それにしてもE.T.ではなく、横須賀と人類がトモダチ・・・という図はいったいどういうことなのだろうか。ハンバーガーのようなUFOはなんなのか。時代の違う方はなんなのか・・・考えてもわからないのでとにかく行ってみることにした。
ポスターと地図は昨夜のうちに念写したのだが、車で横須賀市内に潜入してから途中で変なY字路に出くわしてしまい、ドースル・・・ドースル・・・と迷ってるうちに真ん中のとんがった斜線のとこで止まってしまった。あーいるいるこういう優柔不断な人・・・。いつの時代のカーナビだよっていうぐらい古いナビに寄生してる女性コンシェルジュのパナ子は、若い声で「ソノ先、左方向デス」と簡単に言う。いつまでお若いの?と言っても応答はない。リサは「右じゃね?」とまったくナビを信用してない。手にはスマホを握っているくせ最新のナビアプリを立ち上げて助手を勤めてくれるわけでもなくただ、「右じゃね?」と言っている。板挟みにされたボクはついに女性不信に陥り、極限状態から幻聴が聞こえ始めた。
(外せ)
(左だ)(外せ)
(外せ) ゲイだ
(イヤ右だ)
(外せ)
(どっちかな)ゲイになれ
(外せ) ゲイしかない
(外せ)
外せってなんだよ・・・この高架からOBしろというのか・・・でもなんか周波数の違う幻聴も聞こえるような気もするな・・・まあいいか、どっちにしろ幻聴だし・・・。バックミラーを見てもサイドミラーを見ても、後続車が左右に揺れてプレッシャーをかけているようにしか見えない。とうとう耐えきれなくなったボクは、もうどうにでもなーれと無意識にハンドルを右へ切っていた。「あーあ、やっちゃったよ」と聞こえてビクッっとなるも、もうアクセルを踏むしかなくなっていた。
しばらく走ると、なんだか見覚えのある景色が見えてきた。あれ、おかしいな、横須賀なんて知らないと思ってたけどなんかこの道知ってるな。もしかして前世の記憶?これってデジャヴ?とか思ってたら、先日亡くなられた有麒堂さんの葬儀場の看板が見えてきた。ここだったかぁ・・・しかし、ボクの記憶が確かなら葬儀には参列していないはずだ・・・・・・ビー!ビー!ビー!突然ボクのセンサーがナニかに反応して警報を鳴らし始めた。こ、ここは・・・トモコ大叔母の邸宅・・・!
トモコはリサの大叔母でありジュンコの叔母である。書道、華道、絵画、料理、教員などなど経てきたいわゆる昔の厳格な人で、ボクのことなんて、え、なに?クリエイター?プリエイター(プリティの意)の間違いじゃないの?みたいな酷い扱いをするのだ。以前、リサにハメられてこの家でお作法という名の拷問を長々と受けたトラウマがあって二度と近づきたくない家だった。リサのヤツ、またハメようとしたな・・・。おまえのやったことは全部お見通しだ!その手には乗らぬとスピードを上げたが、後部座席から「帰りに寄るわね~」というToトモコFromジュンコの電話の声が聞こえてきて、教習所で教わった通り、両手でハンドルを10時10分の方向に握り直した。
第一部 市民講演会「大きな海と小さい微生物がくり広げる生態系の話」
聞けませんでした
第二部 「サイエンスエンターテイメントショー」
それにしてもこの辺りはなんて道なんだ。どう見ても人が作った道じゃない、というか森に迷い込んだ人が彷徨いながら歩いた跡を舗装したような、カクカクグネグネとまったく規則性が見えない。森でなければ、ここを歩いた人はなにかアブナイ物でもやっていたのではないかと思うぐらい本当に走りにくい。でも無駄のない道を作るといわれるあの粘菌の道にも似ているな。ということはこれは最短ルートなのだろうか、などと思いながら大きな坂を上がっていると、ポコっと横須賀市文化会館が現れた。けっこう寂れた建物で周りには何もない。へー、丘の上のマチュピチュか、なんかイイ雰囲気だな、麓でコカの葉を買うのを忘れたお、と駐車場に車を停めた。すごく良心的な料金で、これなら都心のコインパーキングのように10分単位で寿命を縮める心配もなさそうだ。
アトラ・・・じゃなくて館に入ってみると、ホールの外には受付の人が数名いるぐらいだった。まだ中で第一部が進行してるようだ。いま入っても中途半端な時間帯だったので、ちょっと一人で探検をとその辺フラフラしてから戻ってみると、「なんでいつも肝心な時にいなくなるんだよ!」とリサがキレていた。ボクがどっか行ってる間に第一部が終了し、リサは休憩時間にホールから出てきたレディース深海クラスとディープ・ハグを交わしていたらしい。中にはフルデプス・ハグをした人もいたそうだ。それにしても、遠目から見るとPTAの黒いママ友グループに見えるな・・・子供たちは教室の中かな・・・違った、彼女たちが生徒だった・・・。さっき肝心な時に!と怒られたのはなんだったのか。まさかボクもハグしなきゃいけなかったってことか、いやそれは実に刑事的問題であろう・・・。
その近くにすごく知っている顔を見つけた。ゴエモンコシオリエビ研究者(アトランティス国立中学校2年深海クラス担任)のワツジさんが一人ポツンと立っていたのだ。なんだか意外にも思えたが、ゴエモンだって微生物あっての胸毛牧場だ。胸毛牧場あってのゴエモンだ。ゴエモンだってワツジさんだ(?)。微生物の会にいてなにが意外なものか。久しぶりの再会に近況報告などを交わすと、リサは「ワツジさん指揮者になればいいのに」と言い出した。絶対音感を持つワツジさんはオーケストラで指揮棒を振っていたという噂は聞いている。「いやいやあれはアマチュアですから笑」と否定すると、さらに「プロになれますよ」とまるで根拠もなく被せてくる。謎の強要をされ続けるワツジさんはいつの間にか消えてしまっていた。そしていよいよ第二部が始まろうとしている。
このときぜんぜん知らなかったんだ
さらにしゃべれなくなっていたボクは
いたの?と言われるぐらい
存在していなかったことを
» アトランティス国立中学校や深海クラスについてはこちらが詳しいです(深海ラボカフェの記事)
ここは1000人以上もの深海クラスを収容できる大ホール。おそらくは、その10分の1・・・いやほんの100分の1程度だろう・・・と思われる深海クラスの人たちと、科学のおもしろさをほんの少しでも理解したいと願うたくさんの横須賀市民が遊びにくるのだろうから、東京モンが、しかも途中からなんて座れるのだろうかと心配だった。実際に見渡してみると、なんだかクロスワードパズルの黒いマス程度にしか埋まってない。さっきホールの外でスカジャンの広告を見たからか、リサは「ヨコスカだけにスカスカジャン!」と偉そうに最前列のド真ん中に着席した。ジュンコも「ダメよこんなとこ」と言いながらも座席を起こした。近くの席を眺めると、さっきのママ友グループの人たちがほんの気持ち程度に何席か間隔を空けて黒くマスを埋めている。このマスの並び具合がなんとも特徴的で、不思議と心が落ち着いてくるような気がしてくる。ボクらは本当は席なんてどこでもよかったのだが、たまたまママ友の1人が誘導してくれたということもあってこんな形になってしまったが、このド真ん中って誘導してくれた張本人(おち研代表戸締役所長)の特等指定席だったのではないかと思って後で反省することになる。
未知のヨコスカとの遭遇
花田智さんが脚本した「劇団フォーシーズンズ(シロート)」によるコントで開宴した。第一部を飛ばした影響で場の空気に馴染めてなかったせいか、いきなり高井さんのニセモノ(以下ニセ・タッカイ)が本人と同じ深紅のジャケットを纏った格好で登場して衝撃を受けることとなった。
実は最初の0.01秒ぐらいまでのヴィジョンでは、高井さんが膝立ちになった体勢で膝に靴を履いてヨチヨチ歩いてきたのかと思った(なんて誰にも言えない)。0.1秒後にもなれば、なんだニセモノかと判断できるようになるが、10秒後になると、ナニコレヒドイと感じるようになる。しかし10分後にもなると、若干似てるんじゃないかといった幻覚を見るようになり、もう30分後になってしまうと、拍手を送ってしまうような奇怪な行動に出るようになる。しかし途中でご本人がチラチラと出演するせいで、末期になると、ニセ・タッカイの影はかなり薄く見えるようになり、家族が呼ばれる頃には、ホールの外で出待ちをするようになり、ボク・・・トモダチ・・・と人差し指を合わせてもらおうとするようになる。これは、処方箋の存在しない地球外の病なのだ。
脚本の花田さんと、こちらのニセ・タッカイ、それから女優2名が演じるフォーシーズンズのコントを挟みながら、後に続くスターダストクルセイダースの各ご講演が紹介されながら続く、壮大でエクストリームな宇宙の物語である。
三浦半島を形作る地球の営みを知ることで日本が、地球が、見える見える
れでぃーすえーんじぇんとるめーん。いよいよ待ちに待った個人的メインイベントである。JAMSTECの平朝彦理事長(アトランティス国立中学校校長)が両手を大きく振って登場した。あら素敵・・・超タイプだわ・・・(ゲイになりかけてる)。スクリーン上でドローンを遠隔操作している(つもり)時も、「はいターン、はいそこでターン、シャルウィダンス?」といまにもダンスに誘われてしまいそうな素敵さだ。しかしそれもPCトラブルにより一転してしまう。理事長があれ?あれ?ってやっても目当てのものがちっともスクリーンに出てきてくれないのだ。客席からは、(たすけて・・・誰か・・・誰かたすけてあげて・・・あらやだ・・・)と心の中で口を揃えて言っている。も、もう限界だ・・・ボクが・・・ボクが行きます・・・!すると、静まり返るホールの中心で、突如としてそれは叫ばれたんだ。
あいにーじょーへるぷ!
ちょっと、あいにーじょーへるぷ!
wwwwwwwww。リサはブフッと必死に笑いをこらえている。あまりの異世界観におそらくたぶんみんな吹いていただろう。けっきょく高井さんが最後の最後に現れて事態を収拾してくれるのだが、理事長はその高井さんにすべての責任を押し付けてルンルンしながら大物感を漂わせていた。何が起ころうと素敵だったのだ。それにしても、なぜ隣に座ってるジュンコまでルンルンしているのか。まさかとうとう理事長にまでアレなのか・・・。
話を真剣に聞きすぎたボクとジュンコはずっと、「城ヶ島」を「城ヶ崎」と間違えて伊豆半島の崖っぷちにいたらしい。後で脳にダメージがあるはずのリサに、「キミら、脳死だな」と言われて身投げするのだった。
君はペリーが見た史上最強の東京湾とその生態系を知っているか
港湾空港技術研究所の桑江朝比呂さんは、東京湾の水は綺麗なのか、そもそも綺麗とはなんなのかというお話だった。講演タイトルは無理矢理に高井さんに決められたそうだが、「ポン酢(史上最強)のポン(強)がなんなのかわからない限り、素直に従うわけにはいきません」となにやら穏やかでない。聞いていると、どうも過去にいろいろあったようで、「私は研究費をたったの2割しかもらえなかったのに対し、高井さんは満額!ワタシの5倍ですよ5倍!許すまじ!雑コラにしやがって!(最後のはイメージです)」と桑江さんは被害者的な振る舞いを見せながらもなんだかんだ嬉しそうに見える。そうか、この人もたぶんド●な方なのだね・・・トモダチ・・・?と親近感を覚えるも、話を聞けば聞くほど高井さんが極悪な人に思えてくる不思議。しかしそれと同時にいろんな意味でのスゴさが見えてくるのだった。
横須賀から世界の、地球外の、海と生命を求めて
大会総合プロデューサーでもある高井研さん(アトランティス国立中学校2年教育指導員)は、いつものように地球外生命のお話だった。さっきの桑江さんの話がかなり押してしまったので、巻き巻きの巻きでいくようだ。いつもながらポン酢のポン!カン!ロン!大三元役満!とテンポが良いのですぐに集中して聞き入ってしまうのだが、これがまたおもしろいだけじゃなくて説得力もハンパじゃないのである。たった500億円のエンセラダス生命探査費用の価値についても、ついノせられてしまい、つい引き込まれてしまい、つい信じてしまい、我に返った時には多額の寄付をしていたという人々の余生を想像する。しかしきっと無一文になりながらも「ああ・・・あのとき寄付しといてよかったなぁ・・・それにしてもいつになったらエンセラダスの氷がもらえるんだろう・・・まあ融資じゃなくて寄付だからね・・・エヘ・・・エヘエヘへ・・・」とずっと妄想や夢を抱けてほんの少しでも幸せを感じられるのではないだろうか。たぶん人類みなそうだと思う。そうゆうもんだと思う。そうゆうもんよ。そらそうよ。(詐欺ではありません)
最後はフォーシーズンズによるエンセラダスからのサンプルリターンドラマが繰り広げられる。宇宙空間で、、、ここまで書いてマジでサイトウさんのことを忘れていた。マジだ。サイトウさんは、ニセ・タッカイから頻繁に名前を間違えられ、いちいちキレながらも必死にサンプルを持ち帰ろうとする宇宙飛行士役だ(正しくはニセ・タッカイ、女優2名、サトウさんでフォーシーズンズでした)。
ええと・・・宇宙空間で、このまま地球に着陸してもサンプルもサイトウさんの人命も失われてしまうという極限な状況に立たされる。そこでニセ・タッカイの秘策により、なんとサンプルもサイトウさんも両方とも奇跡的な生還を果たすことになる。着地したところ・・・そう・・・それは・・・ヨコスカだった。ヨコスカ・・・トモダチ・・・こ、これがあのポスターの意味か・・・!そうなのか・・・!!ホールは感動の涙で潤うと、最後はケン・タッカイ総司令(高井さんの変身後)が登場し、パーフェクトな決めゼリフで幕を下ろした。そして、全米が泣いたらしきサイエンスヒューマンドラマ「Eternal Return」で全横須賀が泣いて、宴は闇に包まれた。
帰りの車の中でリサからいろいろな話を聞いたが、その場にいたので聞いた話ばかりなのになぜか「いたの?」「え、いたの?」とばかり言われる。ボクはそんなに透けてきているのだろうか・・・。ショーの楽しさですっかり忘れていたが、暗くなった帰り道にトモコの家がある。秘策のない絶望的で透けてしまったボクは、ただただトモコへ向かって墜ちていくだけだった。トモコ・・・トモダチ・・・トモコ・・・マイフレンド・・・。